体調を崩しています。ふく太郎です。
最近のニュースで気になったものがあったので自分の考えをシェアしたいと思います。
それがこちらです。
メルカリで「部落地名総鑑」が出品された記事です。
高校生が出品し、購入した人が現れたというものです。どうしてこのようなことが起きたかと考えたところ、タブーに触れてはいけないという風潮が災いしたのではないかと思いました。
戦争にせよ、差別にせよ、刺激が強すぎる内容がそのまま情報として入ってくることは自分からアクセスしない限り少ないと思います。ましては教育という現場では刺激が強くないような方法で子供に伝達することが多いのではないかと思います。恥ずかしながら私の場合はこの逮捕された高校生よりも部落差別に対する知識は少ないと思います。
最近では難病を患っている国会議員が誕生したことで、障害に対するタブーがタブーではなく、障害が個性へと移行している段階だと思います。これは大きな進歩です。一方で、性教育の現場では踏み込んだ指導が行われないことから、妊娠した生徒は退学に追い込まれたり、学習が止まってしまったりと不幸の連鎖が起きてしまいます。
・正しく議論するということ
タブーがタブーである間は、そのものがブラックボックス化してしまうのは避けられません。他の人があまり話したがらないけど、正しい認識が必要なことはたくさんあると思います。差別のことや性のこと、保険や借金のこと…?
タブーであるうちは本当に必要な人へ必要な情報が届きにくい状態であると言えます。だからタブーという分断へ向かうのではなく、もっと必要な人へ情報が向かう統合の方向へ向かっていくことが必要であると思います。
疑問に思ったことから目を背けることは思考停止を意味し、進展はありません。今回の高校生は部落差別を疑問に思い、調べを進めていくことで、結果として問題となってしまいました。調べるという行動そのものは非常に評価できるポイントです。しかし、その調査が甘かったことからこのような問題に繋がってしまいました。
私たちにできることはタブーをタブーのままにせず、建設的な話し合いの場を整理することだと思います。疑問に思った人を正しい情報に結び付けてあげる場所。その積み重ねで、よりよい多様性が実現する社会につながるのだと思います。
コメント