家のラグを干してから部屋がすっきりしました、ふく太郎です。
ついでに床掃除をしたら謎の砂がたくさんでてきて困惑しました笑
今日は何のお話をしようかと悩みましたが、言葉の定義についてですね。
先日、不登校について軽くお話を聞く機会がありました。私は現在の学校に適合しない人たちのためのNew学校(現在の学校とは異なる)を作ることにに興味があります。その根本にあるのが不登校に陥ってしまうような学校システムとは異なる居場所を実現したいという想いです。(この話は次回にでもしましょう。)
だから当然不登校にも興味があります。その方から聞いた不登校の中身が、今のお仕事が不登校の家を担当している部署でのことでした。不登校のおうちに行って、「お宅のお子さん、最近学校にいっていないみたいですね。」と親に話をしても、「だから何か?」と返されるようです。子供は一日中ゲームをやっていて、その方は「まるで生きている人形のようだ。」と形容していました。子供なんて眼中にない、興味なんてないような対応をされるようです。
私の脳内で想起される不登校は、「学校のルールが合わない。管理されるのが嫌だ。先生たちに余裕がない。社会とのつながりが見いだせない。」だから学校には行きたくない。という子供たちでした。脳内の不登校の親御さんは、「できれば学校に行って欲しいけれど、本人が行きたくないなら無理に行かせることもないかな。」くらいを想像していました。
しかし、実際に仕事で不登校の家庭を担当していたかたのお話では私の次元をはるかに超えていたのです。不登校と一括りにしても、お互いの想起されるイメージがまったく異なっていました。
不登校の定義は 「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景 により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した 者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」 です。しかし、その理由は多岐にわたるため、今回のような齟齬が生じてしまいました。
このことから言えることは、自分の知らないことは世間が作った勝手なイメージで保管されてしまうこと。知らないことは一時情報源に触れて情報をアップデートしなければいけないということです。私の脳内不登校はWebでもよく取り上げられているため、そのイメージが先行していました。今回お話を聞いたケースでは確かに不登校のケースには含まれるものの、ネグレクトのような問題寄りでした。
そもそも問題が単体で存在しているわけではなく、実際は複数のものが絡み合っています。
一言で”不登校”といっても、その人は何を想起しているのか。そこがわかって初めてお互いが実現したい社会像を共有することができるのではないかと感じました。
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