教育に対する思考メモ(1)

日記

整骨院通いも今日で卒業、ふく太郎です。

 

あれからも下腹部をへこませて頭・肩・腰を一直線にする努力をした甲斐がありましたね。

 

これは椅子に座っているときでも有効だそうですよ!

 

それでは以下メモ

私が住む地方では、いまだに思考停止をしている取り組みが多いと感じます。

どういうことかというと、精査しないで踏襲、言われるがままに作業量が増えている状態です。

公務員の友人はとても悲惨です…。優秀なのに、でも勤務地が変わった後は辞職を決めていたり…。

これは学校も例外ではありません。

家庭教師先の小学生は、私が中学生のときにやっていた宿題よりも多いのではないかという量を課されています。彼らにどうして宿題をやるのかと聞いても、意義を理解していない。

やる側が理解していないならまだしも、何よりまず課す側が無意識に課しているのが問題ですね。

最近中学校の説明会があったそうですが、そこでも学年+1時間とか、部活は全員加入とか。

どうして勉強を時間で区切るのでしょうか。時間をこなせば勉強ができるようになるのでしょうか。一部の天才を除けばそれは必要条件ですらありません。

勉強ができるようになるには、いくら識っている漢字を何回書いても意味はありません。

計算が苦手ならまだしも、解ける人がいくら簡単な計算を繰り返しても、もっとも時間を割くべきところは他にあります。

必要なことは盲目的に時間をこなすのではなく、勉強前の自分よりもできることを一つずつ増やしていくことが重要です。

 

家庭教師先の小学生に、とても学力の高い子がいます。でも彼は勉強が嫌いです。家庭教師なのに勉強をしません。挙句の果てには高校には絶対に行かないと豪語しています。

彼にとっては宿題は作業でしかなく、宿題でやる内容は先生に怒られない線引きのギリギリを攻めます。

私はとても悲しく思います。

中にはその環境に適応して宿題をこなす子もいますが、適応できない子がいずらい環境です。

 

そんな環境で4月から塾業界に進出する私にできることはなんだろうか。

候補としてはAIを利用して超効率よく学習するモデルを提示することか

現状にモノを申せるような教育を施すのか…。

 

文句を言っても変わらないので、この2カ月のうちに自分が行動できる領域を探していきたいですね。

コメント

  1. Justin より:

    Great post.

タイトルとURLをコピーしました